たとえば、山歩きをしていて、鳥のさえずりや小川のせせらぎを聞き、色鮮やかな新緑の木々を眺め、その香りをかぎながら、まるで自分が木々であり、自分が鳥であったり、自分が小川であり、山そのものであったり、そこに溶けこんだ自分に気づくことがあります。
別々の世界が別々の世界のことではない。
自分の心の相対するものがひとつの深い幽玄な世界になる。これを主観と客観がひとつになるといいます。その体験が禅の世界に通ずるものがあります。
私たちは自分と、自分の外にある世界を分けて考えがちですが、自分と自分を取り巻く世界を全部ひっくるめて、ひとつのものであり、自分自身であると考えます。
つまり、山の中で自然と溶け合った状態こそが本来の自分なのです。
人はみんな自分のものさしで相手をはかろうとする。
ものさしとは、こだわりであったり、先入観や執着心、嫉妬心、虚栄心などです。
しかし、自然にはなんのはからいごともありません。ただ、ありのままそこにあります。
ですから自然とひとつに溶けあう体験ができたとき、
それはあなたがものさしを取り払った世界なのです。
禅が説く大切なものの見方であり、心のもちようです。心のありようです。「本来の面目」であります。
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて冷しかりけり (道元禅師)